哲学名著:エーリッヒ・フロムによる、AI時代の生きる抜く技術とは
愛するということ

「愛するということ」はノウハウ本ではありません。愛の本質を分析した思想書です。1956年に出 版されて以来、世界的なベストセラーとして読みつがれてきました。 著者のエーリッヒ・フロムは、1900年、ドイツでユダヤ人として生まれました。フロイトの流れを くむ精神分析家であると同時に、ファシズムを非難し、人間性の回復を説いた社会思想家として知 られています。 この書でフロムは人間とは死を知っている存在だとしました。そしていつか死ななければならない という自意識が、孤独への恐怖を生んでいると考えました。この孤独の恐怖を解消するために人は 他者との一体化をめざす。それが愛の本質だとフロムは言います。 この新刊の本では、愛を通して人間の本性を学びます。そして人はどのように孤独と向き合うべきか、よ りよい人生を送るためのヒントを探っていきます。
第1 愛は技術である
現代人は資本主義市場での“好都合な交換”に慣れているため、相手が条件にあうかどうかばかりを気にしている。そして“恋愛市場”のどこかに運命の人がいると思っている。果たしてそれは正しいのだろうか?フロムは、相手が見つからないのは、その人に他人を愛する力が足りないからだと言う。愛には技術が必要であることを学ぶ。
愛とは感情ではなく、”愛する”という技術である。
多くの人は「愛」について、学び、訓練する能力ではなく、相手次第で決まる一種の感情か何かだと思っています。
例えば、こんな感じ。
- 「理想のタイプの人が現れたら、私はその人を愛するのになぁ。」
- 「愛せる仕事場さえあれば、もっと頑張れるのに」
こんな感じで「愛することは簡単にできるけど、愛する対象を見つけることが難しい」と考えている、ということ。
このような人にとっての愛とは、出会いや運次第で訪れるものであり、愛について何か学び、訓練しなきゃいけないと考えている人はほとんどいません。
フロムはこう言います。
「生きることが技術であるように、愛も技術である。だから、知識と努力が必要だ」
では愛が技術であり、学べるものであるとしたら、どのように学べばいいのか?
技術を学ぶ過程には「決まった段階」がある
技術を学ぶには決まった段階があり、それは愛の技術も例外ではないとのこと。
そのステップは、たった2つ。
- ①:理論に精通すること(=頭で理解する)
- ②:訓練を積むこと(=実際に行動して、実践する)
シンプルですね。
愛とは何かを学び、愛する練習を日々しなければ、「愛する技術」は身につきません。
第2 愛は技術であると理解
ユダヤ人として2度の世界大戦を経験したフロムは、ファシズムの心理と恋愛には共通点があると 考えた。他者と一体化したいという願望の対象は、個人間の関係にとどまらない。民族や宗教など 様々だ。人間は自分を集団に融合させることで、孤独を忘れようとする習性があるのだ。愛を通して人間の負の側面を見つめる、そして、愛は技術であると理解する。
フロム曰く、愛するとは「自分自身を、能動的に与える行為」だといいます。
ちょっとわかりにくいですね。
ここでいう自分自身とは、自分の中に息づいているモノ、例えば「自分の喜び、興味、理解、知識、技術、ユーモア」のことを指します。
それらを能動的に、つまり「自らの意思で、他者に与える行為」のことを指します。
ですが、一方的に自分の話をしたり、相手のことを考えずにお節介を焼くことが、イコール、愛の行為ではありませんよね。
愛の行為の能動的性質には4つの要素がある
能動的性質には、以下の4つの要素が不可欠です。
- 配慮:他人の命と成長を積極的に気にかけること。
- 責任:(※)他人の要求に応じることや、応じる用意があるということ。
- 尊重:相手のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと。
- 理解:自分自身の関心を通り越して、相手の立場に立ってその人を見れる能力のこと。
※責任といえば義務のようなイメージを持たれるかもしれませんが、本来の意味は、完全に自発的な行為とのこと。
上記4つの要素が欠けていると、自分が愛の行為をしていると思っていても、有難迷惑やおせっかいになってしまいます。
これらの要素を具体例から見てみましょう。
具体例:子育て
愛することができる人が子育てをする場合、子供のことを常に気にかけ、異常に対して敏感に反応します。
- 「泣き声がいつもと違わないか」「体に異常はないか」ということに常に気を配る。(配慮)
- 子供が何かしらの要求、例えば、ミルクを飲みたいと要求するなら、ミルクを飲ませる責任を感じる。(責任)
- 子供を「自分とは別の個人」とみることができるので、自分の考え方を押し付けたりせず、子供のやりたいことを子供のやりたいやり方でやらせてあげようとする。(尊重と理解)
おそらく多くの親が「自分はできている」と考えていると思います。
実は、ほとんどの人ができていません。
仕事の場合
もう1つ簡単な例をあげると、仕事の場合も同様です。
お客さんを積極的に気にかけ、要求に応じ、お客さん個人の立場に立って接客やサービスをする。
このように、仕事も能動的に行えるのならば、それは愛の行為となりえます。
「愛すること」はできているようで、できていない
子育てにしろ仕事にしろ、一見能動的に見えても、実際は受動的にこなしているのであれば、それは愛の行為ではなくなります。
能動的ではなく、「受動的に動く例」とは、例えば下記のような感じです。
例1:世間体を気にしているだけ
子供に対してご飯を作ったり「勉強をしろ」と言って配慮しているつもり。
実際は、単に自分の考えを押し付けているだけ、子供が何を考えているか、何を欲しているのか、何をやりたいのかを真剣に考えない。
ご飯を作るのも、勉強を強制するのも、親の務めを果たしているという「体裁を保つため。」
「こんなに尽くしてるのに、なんで言う事聞かないの!?」と怒鳴る人(または思ってる人)いますよね。
恋人や友人、妻や夫に対しても同様です。
内発的な動機(能動的動機)ではなく、なんらかの外発的動機(受動的動機)で動いていませんか?
第3 愛する技術を訓練する
愛とは本来“与えること”にある。それはギブ・アンド・テイクが保証されているものではない。しかしそれでも与えなくては始まらない。なぜなら人は、与えられたことで変わるからだ。フロムは 様々な角度から、どのような人間関係を築くべきかを詳細に語っている。成熟した大人 の愛とは何か?そのあるべき姿について考える。
最後のポイントは、愛するという「技術の訓練」をすること。
まずフロムは、愛する技術に関わらず、どのような技術を身につけるにしろ、大事な要素が3つあるといいます。
技術を身につける「基本的な」3つの要素
技術を身につける上で欠かせない要素とは、以下の3つです。
- 規律
- 集中力
- 忍耐力
簡単に解説します。
1:規律を身につける方法
規律とは、外から押し付けられた規則ではありません。
自分でルールを決めて、それを守ること。それが規律です。
フロムいわく、規律を身につけるコツは「それを守ることが楽しいと感じられるようにすること。」だそう。
他人から押し付けられたルールを守っていても、本当の規律は身につきません。
- ×:会社の規則で8時までには出社する必要があるから、6時半には起きなきゃな。はぁあ、、。
- ○:6時に起きれば30分余裕が生まれて、1日の計画をたてられる。そうすれば生活に余裕も出るだろうし、スッキリとした1日のはじめになるはずだ。よし、毎朝6時に起きるぞ。てことは、寝る時間はもっと早くして、、云々
例えば上記の感じですかね。
2:集中力を身につける方法
集中力を身につけるには、どんなことであろうと、今目の前にあること以外のことは一切考えずに「今を生きる訓練をする」こと。
テレビをつけながら勉強したり、彼女のことを考えながら友人と会話したり、仕事終わりの飲み会を考えながら仕事するなどは集中力がなくなる原因です。
心当たりありますよね?
瞑想なんかもおすすめです。
3:忍耐力を身につける方法
忍耐力を身につけるには、何事にも潮時があり、闇雲に急ぐと何も身につかないことを理解すること。
集中力にしろ愛する能力にしろ、徐々に身につくものだと信じて、訓練の過程に目を向けることです。
これらの規律、集中力、忍耐力は、どのような技術を身につける場合でも必要な要素です。
これらの要素を日常的に訓練したうえで、愛の技術を身につけるのに「特有の3つの要素」を身につける必要があります。
まとめ:愛する技術を優先するべきではないか?
それでは最後に、「愛するということ」の3つのポイントをまとめるとこのようになります。
- 愛は感情ではなく、技術であると理解すること。
つまり、愛とは運次第で与えられるものではなく、自らの力で身につける能力であるということですね。 - 愛するとはどういうことか?を理解すること。
愛するとは何かを一言でいうと、「能動的に自分の力を使い、最大限の配慮とともに、相手に働きかけること」と言えるでしょう。 - 愛する技術の訓練を積むこと。
頭で理解しているだけでは技術は身につきません。必要な要素を学んだら、それを実践し能力を高めることで徐々に、愛する能力が身についていきます。
フロムも本書の冒頭で、「人は心の底から愛を求めているくせに、ほとんどすべてのものが愛より重要だと考えている」ということに警鐘を鳴らしています。
自分が本当に求めているものは何なのか?自分で自分に問いかけてみることが大切なのかもしれません。是非本を買って読んでみてください。