「死」と量子力学の知識

死は存在しない ― 最先端量子科学が示す新たな仮説 (光文社新書)

最先端科学が示唆する「死後の世界」の可能性
これまでの「科学」は、「死後の世界」の存在を、否定してきた。
それゆえ、「死後の世界」を肯定する「宗教」とは、決して交わることが無かった。
しかし、近年、最先端量子科学が、一つの興味深い「仮説」を提示している。
その「新たな仮説」は、「死後の世界」が存在する可能性を、示唆している。
では、その「仮説」とは、どのようなものか、どのような科学的理論か。
もし、その「仮説」が正しければ、「死後の世界」とは、どのようなものか。
この「死後の世界」において、「我々の意識」は、どうなっていくのか。
もし、その「仮説」が正しければ、それは、この人生を生きる我々に、何を教えるのか。
もし、この「仮説」が正しければ、「科学」と「宗教」は、融合していくのか。
著 者 田坂 広志(たさか ひろし)
1951年生まれ。
1974年東京大学卒業。
1981年同大学院修了。工学博士(原子力工学)。
1987年米国シンクタンク・バテル記念研究所客員研究員。
1990年日本総合研究所の設立に参画。取締役等を歴任。
2000年多摩大学大学院の教授に就任。現名誉教授。
同年シンクタンク・ソフィアバンクを設立。代表に就任。
2005年米国ジャパン・ソサエティより、日米イノベーターに選ばれる。
2008年世界経済フォーラム(ダボス会議)のGlobalAgendaCouncilのメンバーに就任。
2010年世界賢人会議ブダペスト・クラブの日本代表に就任。
2011年東日本大震災に伴い内閣官房参与に就任。
2013年全国から7300名の経営者やリーダーが集まり「21世紀の変革リーダー」への成長をめざす場「田坂塾」を開塾。
著書は100冊余。
かつて、「死後」について
このように語った本が
あっただろうか
この宇宙のすべての情報を
記憶する
「ゼロ・ポイント・フィールド」
そこから
この壮大な物語は始まる
「ゼロポイントフィールド」(ZPF)は、量子力学的物理システムの最低エネルギー状態である量子真空を表すために使用される用語です。絶対ゼロ温度でも残るエネルギー状態であるため、「ゼロ点」と呼ばれます。
ZPFは、存在の出入りを絶えず変動する仮想粒子の海であると考えられており、亜原子粒子の挙動に大きな影響を与えると考えられています。

いくつかの理論は、ZPFが宇宙のすべての物質とエネルギーの源であり、エネルギー生産や推進などの分野で実用化するために利用される可能性があると提案しています。
‐人類数千年の謎 その答えを求め‐
「目次」
序 話 この本を手に取られた、あなたへ
第一話 あなたは、「死後の世界」を信じるか
第二話 現代の科学は「三つの限界」に直面している
第三話 誰もが日常的に体験している「不思議な出来事」
第四話 筆者の人生で与えられた「不思議な体験」
第五話 なぜ、人生で「不思議な出来事」が起こるのか
第六話 なぜ、我々の意識は「フィールド」と繋がるのか
第七話 フィールド仮説が説明する「意識の不思議な現象」
第八話 フィールド仮説によれば「死後」に何が起こるのか
第九話 フィールド内で我々の「自我」(エゴ)は消えていく
第一〇話 フィールドに移行した「我々の意識」は、どうなるのか
第一一話 死後、「我々の意識」は、どこまでも拡大していく
第一二話 あなたが「夢」から覚めるとき
終 話 二一世紀、「科学」と「宗教」は一つになる
死後、我々はどうなるのか。「肉親」と再会できるのか。
「前世の記憶」「輪廻転生」は、全くの迷信なのか。
なぜ、「最先端の科学の知見」と「最古の宗教の直観」が一致するのか。
この本を読み終えたとき、あなたの人生が変わる。
「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」
「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、この「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が、「波動情報」として「ホログラム原理」で「記録」されているという仮説だからである。
ホログラム原理とは、波動の「干渉」を使って波動情報を記録する原理のことであり、位相を変えた「波動」同士が互いに干渉するときに生まれる「干渉縞」を記録することによって、高密度の情報記録を可能にし、鮮明な立体映像の記録も可能にする原理である。
「ゼロ・ポイント・フィールド」に「波動」として記録された情報は、決して、エネルギーの減衰に伴って消えてしまわない。
「量子真空」とは宇宙が存在する前の何もない真空の状態のこと。なにもないが膨大なエネルギーだけが存在しているという。
そのエネルギーを「ゼロ・ポイント・エネルギー」と言うそうです。
また情報が消えてしまわないということは、宇宙の過去から現在の情報がすべて記録されていることを意味するそうです。
まだまだしっくりこないと思うので、ゲームに例えてみるとわかりやすいかもしれません。
私たちがRGPなどのゲームをするとき、その世界ではありとあらゆるパターンが既に想定されていますよね。主人公が前に進んだら敵と出会う、右に進んだら町人に出会うなどです。誰に出会うのか、その人に話しかけるのか、あるいは通り過ぎるのかで、主人公の未来が変わってきます。
ゲームのクリエイターはあらかじめ、主人公が体験するだろうすべての可能性を想定しゲームとして完成させます。主人公は一瞬一瞬の行動の違いから、その後体験する未来が変わってきます。主人公にとってみれば、自分が歩んできた道は一本ですが、ゲームのクリエイターから見れば主人公が辿った道はあらゆる可能性のうちの1本にすぎません。主人公から見れば、一瞬先は未知の世界ですが、ゲームのクリエイターから見れば主人公が歩むであろうどの可能性の未来も知っているし、データとして存在します。
これが、ゼロ・ポイント・フィールドでいうところのすべての可能性が記録されている状態です。
著者は、こうしたゲームのような記録、情報の場が、この宇宙にもあるのではないか、という仮説を支持しているのです。私たちの人生ですらとあるゲームの1つのように、すべてのパターン、すべてのシミュレーションがもう既に存在しているのではないか、ということですね。
意識の5つの階層
第一の階層は、「表面意識」の世界である。これは、我々が、日常生活を送り、日々の仕事に取り組むときに最も活性化している意識の世界である。
第二の階層は、「静寂意識」の世界である。これは、我々が、日常の生活や仕事から離れ、「静寂」を保っているときの意識の世界である。
第三の階層は、「無意識」の世界である。これは、「表面意識」や「静寂意識」の奥にある、我々自身が気づいていない意識の世界である。
第四の階層は、「超個的無意識」の世界である。この「無意識」の世界のさらに奥深くに、我々の「無意識」がゼロ・ポイント・フィールドを通じて互いに繋がった世界がある。
第五の階層は、「超時空的無意識」の世界である。我々の「無意識」がゼロ・ポイント・フィールドを通じて互いに繋がった「超個的無意識」の状態をさらに超え、我々の「無意識」がゼロ・ポイント・フィールドと深く結びついた意識の世界である。
「静寂意識」「無意識」「超個的無意識」「超時空的無意識」の四つの階層が、ゼロ・ポイント・フィールドに繋がることができる「意識の状態」である。
表面意識であるエゴがなくなると、次のようなことが起きると言う。
- 直感が働く。
- 無我の境地に入る。
- 以心伝心が起きる。
- 予感・予知現象が起こる。
神とは
「神」や「仏」や「天」とは、宇宙の歴史始まって以来の「すべての出来事」が記録され、人類の歴史始まって以来の「すべての叡智」が記録されている、この「ゼロ・ポイント・フィールド」に他ならない。
なかなか説得力のある言い方です。神や仏と言っているものは「ゼロ・ポイント・フィールド」のことですよということです。
死後について
肉体は死滅しても、「我々の意識の情報」は、ゼロ・ポイント・フィールド内に「永遠の記録」として残り続けるだけでなく、さらに変化を続けていくのではないか、すなわち、「生き続ける」のではないか。
死後も生きていたときの記録がゼロ・ポイント・フィールド内に残り続けるまでは理解できるが、「生き続ける」とはどういう意味だろうか?
意識が量子的なプロセスで動くのであれば、同じく量子の波動・エネルギーの溜まり場であるゼロ・ポイント・フィールドにも繋がったり、行き来ができるんじゃないか、というのがこの説です。
深層世界
ゼロ・ポイント・フィールド内には、 「現実世界」と全く同じ、「深層世界」が存在している。
「現実世界での私」と全く同じ、「深層世界での私」が存在している のであり、言葉を換えれば、「現実世界」を生きている「現実自己」に対して、 「深層世界」を生きている「深層自己」と呼ぶべきものが存在している。
ば、「現実自己」が死を迎え、消え去った後も、ゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」は、残り続ける。
筆者は、ゼロ・ポイント・フィールドが本当に存在し、私たちがそこへアクセス可能だと仮定するならば、これまで迷信として扱われてきたことも解明できるようになるのではないかと考えているそうです。
例えば、虫の知らせのような予感、未来予知、デジャヴ、前世の記憶、生まれ変わり、シンクロニシティなどです。さらに言えば、神や仏、天と呼ばれてきたものもこのゼロ・ポイント・フィールドがその正体ではないかとも考えているそうです。なかなか踏み込んだ仮説ですし、これは各々の宗教観にも触れるところなので私自身は多くを語ることは避けますが、これ自体は非常に面白い発想ですよね。もしかしたらブッダやキリストが見た世界を私たちも体験できる未来も近いかもしれません。
「死」は存在しない。
「私とは、この自我意識である」と信じるかぎり、あなたの意識がゼロ・ポイント・フィールドに移った後、いずれ、その「自我意識渡してゃ」は、消えていく。そして、「超自我意識」へと変容していく。
それゆえ、その意味において、「自我意識」にとって「死」は存在し、それも、必ずやってくる。 しかし、もし、あなたが、「私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、この『宇宙意識』そのものに他ならない」ことに気がついたならば、「死」は存在しない。
ということで、今回は量子力学の世界から見た不思議な話をしてみました。この話が数十年後、常識となっていたら驚きですね。今後の科学の動きや発見が楽しみで仕方ありません。
もしこちらを読んで「もっと読みたい!」と思った方は、ぜひ書籍を読んでみてくださいね。